称号十念
11月の写経会を無事厳修いたしました。
前回は、私たちの有り様について「凡夫(ぼんぶ)」という言葉を用いてご案内しました。
今回は、正光寺の写経会で内省するとはどういうことか、についてお話しました。それは、「大切なことを再確認し、実践し続けること」です。
現代は様々なことが民主化してきました。たとえばアイドル。以前はアイドルと言えばこの人!という人物がいて、その人の事をだれもが知っていました。良し悪しはさておき、現代は誰でもアイドルになれるようになりました。
知識に関わることもそうです。以前は本を一生懸命読むか、専門家の話を聞くかしないと理解できませんでした。内容の真贋はさておき、現代は容易にネットや動画である程度の内容を知ることができるようになりました。仏教も同様です。ネットを開けばある程度のことを理解することができます。それに伴って人々の基礎知識は日を追うごとに高まっています。
そのような現代人にとって、仏教で説かれている大切な事どもの多くは、「良いことをして悪いことをしないようにしよう」といった具合に素朴に感じるものだったり、すでに知っていることだったりするで、見方によっては「何をいまさら」と思うことも多かったりします。しかし、そのように頭では理解している事どものうち、どれほどの事を実践できているかと言えばかなり疑わしいものです。否、実践できていないからこそ我々は苦悩しているといっても過言ではないでしょう。
正光寺の写経会を通じて「内省すべし」というのは、仏教で説かれる素朴な教えや、ありきたりでありながらも最も大切な教えを自身が抱えている苦悩と照らし合わせて再確認し、明日以降の行動に反映させていくことなのです。
たとえそれを実践したとしても継続するのはまた難しいものです。だからこそ、一カ月ごとの写経会で常に念仏を称え自己を内省(再確認)し、続けるための土台とすることが大切なのです。
試みに本日は「一日一善」というお題を出しました。あまりに単純で、あまりに難しいこのお題を私たちは1カ月間、どこまで意識して実践することができるのでしょうか。
絶対にやり遂げようなんぞと鼻息を荒くする必要はありません。できる範囲で続けて行こうという意識と実践の積み重ねの上に、心身ともに穏やかな日常が徐々に開けていくものなのです。
合掌