こういうことは何回も経験するわけではありませんから、気が動転してしまいます。病院で亡くなれば看護師さんなどがアドバイスをくれたり支えてくれたりしますからまだ良いですが、急逝した場合などに落ち着いて対応することは中々難しいものです。ここでは、最低限の段取りをご紹介しておきます。
お葬式までの間、ご遺体を安全な場所へ異動してくれるのは葬儀社さんになります。
まずは、葬儀社さんに電話をしましょう。
病院以外で亡くなった場合は、警察や救急隊への連絡が必要になる場合があるのでご注意ください。
正光寺ではこちらの葬儀社をご紹介しております。
お葬式の日程などを決めなければなりません。葬儀社さんにご遺体を預かって頂くことができたら、次に正光寺へご連絡ください。
TEL:03-3901-2017
葬儀の後のことは、葬儀社さんはもちろん、正光寺で順次なすべきことをご案内していきますのでご安心ください。
なぜお葬式をするのでしょうか。それは、故人様が自分のことをしっかりと見守っていてくれるようにするため、それを拠り所としてこれからの人生を一生懸命に生きていくため、最期は同じ極楽浄土にお迎え頂くべくお念仏を称えるため、この3つのためにお葬式をするのです。
亡くなった人は、所縁ある私たちのことを見守っていてくれます。絶対に見守ってくれるのです。その拠り所となるのはなにか、それは私たちが持っている故人様に対するたくさんの記憶です。
現代のお葬式では式場に遺影が飾られます。しかし、その写真があろうともなかろうとも、私たちは故人様のご尊顔を目の前に観ることができます。そして、そこから発せられる言葉を聞くことができます。正確には再構成できるというべきでしょう。それは、記憶を拠り所としています。
通夜は「夜を通す」と書きます。なぜ夜を通すのでしょうか。それは故人様の生前の事どもを語り合うためです。なぜ故人様のことを語り合うのでしょうか。それは、自分だけでは思い出せない故人様の記憶を呼び起こすためです。自分が知らなかった故人様のことを他の人から聞いて思い出となる記憶を増やすためです。通夜で故人様のことを語り合うことによって私たちは故人様からより強く見守ってもらうことができるのです。だから、通夜で故人様のことを語り合うのです。
私たちは、故人様が見守っていてくれるという事を拠り所として、これからの人生を一生懸命に生きていくだけです。そして、いつかは死にます。絶対に死にます。死んだらどうなるか。極楽浄土に往きます。極楽浄土とは何か。それは経典に書いてあります。
しかし、私たちにとって経典にどのように書いてあるかは、あまり大きな問題ではありません。私たちが一生懸命経典を読んだところで理解が及ばないからです。
大切な事は、間違いなく極楽浄土は西の彼方にあるということ、そこは素晴らしい所であるということ、大切な先人たちはそこで元気に私たちの事を見守っていてくれているということ、私たちも最期は同じ極楽浄土にお迎え頂けるということ。それだけです。それ以上である必要もなければ、それ以下であっても困ります。
もはやこれは理屈ではありません。浪漫です。私たちは幸いなことに、そういう風に考えることができる能力を持っています。それは、これからの人生を一生懸命生きていく上で力になります。そう考える方が都合が良いと言っても構わない。
突き詰めると私たち人間は、生まれて一生懸命生きて死ぬ。それだけです。その過程にある一生懸命生きるところで右往左往しているのが今の私たちの有様です。
少しでも右往左往した現状をよくするために仏様、故人様と向き合って内観(内省)をし、より良い人生を歩み続けていくことが大切です。
お葬式では、
1、故人様の冥福をお祈りすること
2、内省をしてこれからの人生を一生懸命生きていく決意をすること
3、最期は同じ極楽浄土にお迎え頂けるように祈ること
上記3つのためにお念仏をお称えします。なぜ、念仏を称えるのか。それは、上記3つを満たすものであることは言うを待たずですが、最も重要な理由は、極楽浄土に往くための切符だからです。
電車に乗るにも飛行機に乗るにも切符が必要です。極楽浄土に往くための切符は何か、それはお念仏を称えることです。だからお念仏を称えるのです。
お念仏を称える価値を理解すれば、すべての事どもは解決するのです。そのことを理解するための重要な機会のひとつがお葬式なのです。