住職より~令和6年の春の彼岸会を終えて

称号十念

 私たちはなぜ仏事をお勤めするのでしょうか。それは、生まれて、一生懸命生きて、最期死んだら、極楽浄土に往くためです。

 彼岸の中日は真西に太陽が沈みます。それによって正確に極楽浄土がある方向を理解することができるので、最期極楽浄土に往くために念仏を称えるには最適の日であります。

 このたびの彼岸会でも念仏を称えしました。では最期極楽浄土に往生するまでの間、私たちは如何にして過ごしていくべきなのでしょうか。それは一生懸命生きていくということだけです。

一生懸命生きるとはどういうことでしょうか。それは物事の本質や大切にすべきことを常に意識して生きていくことです。しかし、私たちは大概の事に関する本質に触れたことがあるはずなのに、日常生活の中で忙殺されるあまりそのことを忘れていたり、覚えてはいても行動まで落とし込めなかったりしています。あるいは触れたことがあるのに気づけなかったということもあるかもしれません。それが我々の苦悩の根源のひとつであります。

 正光寺の彼岸会では、そうした物事の本質や大切にすべきことを再確認するために、心静かに阿弥陀様とご先祖様に向き合って内省し、最後に念仏を称えます。静かに内省して再確認したことを踏まえ、次の内省機会まで一生懸命生きることが仏事の目的です。

しかし、凡夫である私たちは、いくら頑張っていてもしばらくすると大切なことが蔑ろになり始めてしまいます。そのような私たちにとって仏事は、再び物事の本質や大切にすべきことを思い起こさせてくれます。

 仏事とはまさに、生まれて、一生懸命生きて、最期死んだら、極楽浄土に往く、その過程にある心の補給地点なのです。

合掌

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