住職より~令和5年の十夜会を終えて

久々の十夜会でした。正光寺の十夜会はいつもアットホームで、始まる前は参加者同士おしゃべりしたりして開式を待っています。

コロナ禍がきっかけとなり、正光寺も僅かにデジタル化が進みました。そのひとつが導師座で使用している経本です。今までは紙の折本を使っていましたが、近年はタブレット端末(i Pad)を使用しているのです。コロナ禍前は使用していなかったため、久々に本堂での行事に参加しそれを目の当たりにした方の中から「お寺も(デジタル化が進んで)ずいぶん変わったね~」という声が聞かれました。

まだ完成されていませんが、お寺のwebサイトもリフォームしている最中です。その作業をしてくださっている方は奈良に住んでいらっしゃいます。やりとりは今流行りのZOOM(web会議)を使って行います。ですから、作業をしてくださる方は近隣に居てくれなくても問題ないのです。

 その方、奈良の東大寺はよくお参りされるそうで、浄土宗でも東大寺はとても所縁のあるお寺であることなどをお話してとても盛り上がりました。

 平安末期、東大寺は源平の合戦によって大きな被害を受けました。国家の安寧を願って建立されたお寺ですから、すぐさま再建の段取りが進められます。実は、復興の責任者として最初に名前が挙がったのが法然上人なのです。法然上人はこれを固辞しその代わりとして推薦したのが俊乗房重源です。その縁により、法然上人は東大寺で講義(東大寺講説)を行うなど、関りをもっているのです。

 重源は法然上人のことを慕っていたようで、彼が法然上人に質問した質問状が『東大寺十問答』として残っています。質問のひとつに「東大寺の大仏を拝んでいれば極楽に往生できるか」と尋ねたものがあります。東大寺の大仏を拝むことはとても素晴らしいことですが、法然上人は極楽に往生するためにはお念仏が最も優れているという点から、お念仏お称えすることを進めていらっしゃいます。

 関東に住んでいる我々にとって、東大寺にお参りすることはとてもときめくことですが、休みを取って現地に向かうのは中々大変なことです。一方、お念仏は自宅にいて毎日容易に行うことができます。

日々の生活において、時には非日常的な体験も大切ですが、最も大切なことはいかに整った日常を過ごしていくか、ということだと思います。毎朝決まった時間に起きる、毎日体操をする、毎晩ストレッチをするなど、人によってそれぞれあることでしょう。精神面においても、毎日仏壇に向かってお念仏を称えることでそれを整えるきっかけにする事ができる。

 コロナ禍以降、久々に十夜会をお勤めし、何気ない日々の大切さを再認識いたしました。名刹に想いを馳せながらも、日々の生活を整えてそれを楽しむことの大切さ、そのような何気ない日常の有難さに再度目を向けた一日となりました。

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